今回のJAPAN STORYは前回の妖怪伝説に続き、鬼伝説「酒呑童子」を呟きます。
酒呑童子(しゅてんどうじ)とは、丹波国と丹後国の境にある大江山に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目で、酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていたと記されています。
平安時代初期(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、京の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので、人々の心に大きな不安を与えていました。 天子(天皇)は源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じ、源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中、この老の坂で、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが相模の国の足柄山で 熊と相撲を取ったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が、急に持ち上がらなくなり、止むを得ずこの場所に首を埋めたと伝えられています。
最近では酒呑童子が住んだ大江山は、一般に現・福知山市にある大江山とされているが、都へたびたび出没している点を考えると距離的な問題があります。そこで山城と丹波の境界である大枝(おおえ)こそが、酒呑童子の本拠ではないかという説が有力となっています。
京都市内から亀岡へ抜ける国道9号線。その境に、老ノ坂(おいのさか)峠と呼ばれるところがあって、かつて本能寺の変の際、明智光秀がここから反転したという、まさに京都の西の境界にあたる場所で、老ノ坂峠のトンネルの手前から気づかないぐらい細い間道が伸びていて、数百メートル入った突き当たりに「首塚大明神」があります。
今日はそんな恐ろしい名前の「首塚大明神」「首塚」ですから、心して行ってきました。
天気も良かったので大丈夫でしたが、天気が悪いと薄気味悪い感じで、ちょっと敬遠したくなります。
石段を上りはじめると、森の中を入っていく感じです。
弐の鳥居横の御神木は落雷で切り裂かれ黒焦げになっていて、異様な姿で残っています。
祠の裏側の囲いの中が「酒呑童子」の首塚のようです。
一人で来ましたが、早く離れたいとに感じる場所なので退散します。
最後に源頼光率いる四天王に討伐される際、「首から上の病を持つ人々を救う」と約束し、以後神として祀られていて、ここ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかなので少しホッとしました。