今回のJAPAN STORYは平安京の「神泉苑」に触れたいと思います。
現在の「神泉苑」は二条城の南に位置しますが、当時の神泉苑はその16倍ほどの広さがあり、平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。
824年に都では3ヶ月も雨が降らず日照りが続き旱魃(かんばつ)で苦しむ民を救う為に、淳和天皇の勅命により、東寺の弘法大師・空海と西寺の守敏相都(しゅびんそうず)に両仏教の力を合わせて災難を鎮めてもらいたいと雨乞いを依頼します。
平安時代の都の中には、仏教勢力の政治への関与を排除するため国営寺院である東寺と西寺の二つの寺院しか存在していませんでした。
弘法大師空海は神泉苑の池畔で、天竺(インド)大雪山(ヒマラヤ山脈)にある無熱池(インドの伝説の池)の善女龍王を迎えるための修法を行います。すると金色の龍となった善女龍王が勧請(かんじょう)されると、これまで雲一つない空に雲が湧き、三日三晩雨を降らし続けたといいます。
これ以降神泉苑の池には善女龍王が住むといわれ、多くの名僧が祈雨修法を行うようになりました。
日本最古の皇族庭園だった「神泉苑」は、祇園祭発祥の地でもありました。
貞観年間(859~877年)に日本各地で疫病が流行り、それを鎮めるために祇園祭が始まりました。
かつては「祇園御霊会」と呼ばれ、当時の国の数に因んで66本の鉾を立てて祭を行い、神泉苑に神輿を送って祈りを捧げていました。この御霊会が現在の祇園祭へとなっていきます。
今でも祇園祭の山鉾は巡行の前に、神泉苑に拝礼を欠かさないのです。
現在のように山鉾が登場するようになったのは室町時代になってからだそうです。