今回のJAPAN STORYは、日本で一番古い仏教寺院「飛鳥寺」のお話です。
起源と言うか、はじまりには興味がありますので、楽しみたいと思います。
本日の主人公は、豪族・蘇我馬子(そがのうまこ)です。
昔、歴史で学んだなぁと言う覚えしか残ってないのが残念・・・
6世紀中頃の日本は、天皇を中心に10名ほどの豪族の代表者によって政治を動かしていました。
538年、朝鮮半島にあった国・百済(くだら)の聖明王から日本に仏教が伝えられると、仏教を受け入れるかどうかで有力豪族が二分します。
渡来人(大陸から渡ってきた人)とのかかわりが深かった蘇我稲目(そがのいなめ)が仏教受け入れを主張し、天照大神の血統であり日本古来の神道を重んじる物部尾興(もののべのおこし)はそれを反対。両氏の対立はそれぞれの子である蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべのもりや)に受け継がれます。
そして587年、蘇我馬子は対する物部守屋を殺害するのです。この戦いには、聖徳太子も蘇我軍の一員として参戦していました。
蘇我馬子は全権力を手中に収める為に、用明天皇を退位させ、姉の子を崇峻天皇として即位させます。強い発言権を持ちますが、のちに崇峻天皇との間で内政・外交における意見の対立が起きると、蘇我馬子は崇峻天皇を殺害。そのあとは推古天皇の「摂政」(天皇の政治を補佐する役職)である聖徳太子と組み、その背後で日本の政治を動かすのです。
「飛鳥寺」は、女帝・推古天皇の時代、588年に造営を開始し、596年に一応の完成を見せますが、更に13年の歳月を要し609年に完成、建立された本格的な伽藍をもった我が国最初の仏教寺院が誕生したのです。当時は現在の約20倍もの壮大な寺院で、塔を中心に東、西、北の3つの金堂を配し、外側には回廊が廻らされていたそうです。
蘇我馬子は、その強大な権力を皇族、豪族、民衆に誇示し従わせる為の一つの方法として、人が驚きその力に恐れるほどの巨大で斬新な建造物の造立が必要だったんです。
蘇我馬子は日本仏教の起源に執念を燃やした男なんですね。
現在、本堂に安置されている本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来座像。
このお像は鎌倉時代の落雷による火災で損傷を受けましたが、創建時以来、1400年以上もの間、ここから一度も移動することなく、その姿を現在も観られるって、ビックリな事ですね。