17日間にわたって開催されたパリオリンピックで、日本は金メダル20個、銀メダル12個、銅メダル13個の合計45個のメダルを獲得しました。この結果、海外で行われたオリンピックでは過去最多の金メダル数と総メダル数を記録しました。表彰台で流れる日本の国歌「君が代」は、気品と威厳を感じさせ、多くの人々に深い感動を与えたのではないでしょうか。
今回のJAPAN STORYでは、この「君が代」について、その魅力や歴史を楽しみたいと思います。
君が代は
「あなたの命が」
千代に八千代に
「ずーっと長く、いつまでもいつまでも」
さざれ石の
「さざれ石のような細かく小さな石が」
巌となりて
「大きな岩になって」
苔のむすまで
「それが更に年月を経て苔むしていくまでずっと続きますように」
1903(明治36)年、ベルリンで行われた「世界国歌コンクール」で「君が代」が一等を受賞しました。
国歌には国民を奮い立たせるような歌詞を採用する国が多いなか、その受賞理由は、
「君が代」は、世界で最も短い歌詞、
最も古く、気高い平和に満ちた歌詞を持ち、
それに相応しい厳かな曲調が評価されたのです。
『君が代』の歌詞の原型は、平安時代前期(905年)に編纂された『古今和歌集』に収録されている一首に由来します。この歌は、「わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで」というもので、「賀歌」の343番として収録され、作者は不詳です。この時点では「わが君は」と歌われており、現在の「君が代は」という形ではありませんでした。
その後、13世紀に編纂された『和漢朗詠集』の本文において、「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という形で登場し、「君が代は」という表現が使われ始めました。そして、江戸時代に至る頃には、「君が代は」として歌われることが主流となっていったようです。
1869年(明治2年)、横浜に滞在していたイギリス人軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが、日本に国歌の必要性を説きました。当時、薩摩の歩兵隊長を務めていた大山巌が愛唱していた「君が代」を推薦したことから、「君が代」が国歌として選ばれる道筋ができました。大山巌はこの選定に重要な役割を果たした人物といえます。
フェントンは自ら「君が代」に曲をつけ、1870年(明治3年)に発表しましたが、歌詞と曲がしっくりこなかったため、その後、改めて宮内省雅楽課に「君が代」の作曲が依頼されました。雅楽課の林広守がこの依頼を受け、現在の「君が代」としての曲を完成させました。このようにして、「君が代」は現在の形で日本の国歌として定着していきました。
「君が代」は、オリンピックなどのスポーツ競技での優勝者を称える際や、小中学校での式典などで歌われてきました。しかし、第二次世界大戦後、軍国主義に対する反省が深まる中で、「君が代」をめぐる議論が生まれました。特に、新しい日本国憲法において天皇が「国の象徴」とされ、政治的権限を持たない立場となったことから、「君が代」を学校で斉唱することの是非について、激しい議論が展開されることとなりました。
●1999年(平成11年)8月13日は、日本の国旗と国歌を正式に定めた「国旗及び国歌に関する法律」(通称:国旗国歌法)が制定された日です。この法律により、「君が代」が正式に日本の国歌として法的に位置づけられました。それまでも「君が代」は事実上の国歌として広く認識され、使用されていましたが、この法律の制定によって、その地位が明文化されたのです。8月13日は、正式に「君が代」が日本の国歌となった記念すべき日として位置づけられています。