2022年 9月5日(月) 今日は、姉と一緒に京都・伏見稲荷大社へ来ました。
両親が商売をはじめた頃からお祀りしていた御霊(みたま)を返納する為です。
今日までお世話になった神様を返納するのですから、心苦しさもあります。
祈祷受付所で相談して、私と姉と2人立ち会い、神主さんによる祈祷を行ってもらい、感謝を込めて返納いたしました。
その京都・伏見稲荷大社には、今は亡き、私の妹が、巫女としてお勤めしていた事もあって、ここに来るとなんだか、いろいろな思いが巡ります。
今日はお世話になった神様にふれて呟きます。
お祀りしていた神様は「萬八大明神」と言います。
名前の由来はわかりませんが、日本は元より神の国で、「八百万の神(やおよろずのかみ)」の考え方から「萬八」と付いたのかな?・・・私の勝手な憶測で(_ _) スミマセン。
伏見稲荷大社の眷属(けんぞく)は狐さんですが、その由来は、キツネが農耕を見守る守り神のように考えられていたからという説があったり、神仏習合の次代に仏教の思想が強く、本地垂迹 (ホンジスイジャク)という思想が生まれ、そのときに稲荷神に割り振られたのが荼枳尼天(ダキニテン)で、荼枳尼天(ダキニテン)はヒンズーの神でジャッカルに乗った姿で描かれます。しかし日本にはジャッカルは居ないため、似たような生き物である狐が眷属(けんぞく)となった説とか、いろいろあるらしいです。
※眷属(けんぞく)とは、神様にお使いする存在。人間と神様との仲介役。
※本地垂迹(ホンジスイジャク)とは、日本古来の神祇(じんぎ)信仰と仏教の仏菩薩(ぶつぼさつ)の信仰が同化する事。
※荼枳尼天(ダキニテン)とは、仏教のお稲荷さん。
伏見稲荷大社の眷属(けんぞく)は狐さんですが、「萬八大明神」にお仕えする眷属(けんぞく)は狸らしく、難しくて良くわかりませんが、そういうお願いをどのくらい叶えるかが、狐とか狸の修行になるようです。
家で祀る神棚は毎日神様に向き合う事が出来る訳です。
神を敬う心のある人は、それが喜びであるわけです。神もまた、敬う心に比例した分、ご神徳である恵みや力を発揮できると言う訳です。これは、神と信者がお互い日々修行し、得るものなんですね。
両親は「萬八」さんを信じ、一緒に修行をしてきたのですが、信仰心の希薄な私に、務まるはずがないと思い、返納を決めた訳です。
これからは「萬八」さんの恵みをいただく事は出来ませんが、御礼のお詣りは続けていこうと思います。
ありがとうございました。