今回のJAPAN STORYは、京都に都が移された「平安京」の背景を楽しみたいと思います。
桓武天皇は「平安京」造営にあたって、自ら視察し指示を出しました。
下見に行った時の様子が「日本後記」に記述されています。
「この国は、山河襟帯、自然に城を作す」
この国は、山と河が襟と帯のようにぴったりして、自然の城をなしている。
当時都はその土地の名をつけるのが慣例で、大津京、藤原京、平城京、長岡京もそうでした。
新都は延暦13年(794年)、山背国葛野(かどの)郡宇太(うだ)村の地に新しい都を造営することになり、「葛野京」「宇太京」と名付けられるべきところ、「平安京」と命名したのは、まさにこの時、世相が平安でなかったためなんですね。
まず、奈良におかれた首都「平城京」です。藤原京から元明天皇により都を遷され、以来70年あまり首都として機能しましたが、延暦3年(784年)に京都の「長岡京」に首都が遷されました。どうして「平城京」から「長岡京」に遷都されたのか? 当時、光仁天皇の後を継いだ桓武天皇は、朝廷権力を拡大する上で仏教寺院の肥大化した影響力に頭を悩ませていました。その他に朝廷内の改革派と守旧派の勢力争いが要因になります。
「長岡京」は「平城京」よりも優れた都でしたが、たった10年で次の平安京に遷都してしまいます。その理由として、桓武天皇の弟で皇太子だった早良親王(さわらしんのう)の謀反が発覚し、造反を知った桓武天皇は激怒、その騒動の最中に早良親王は、非業の死を遂げてしまうです。早良親王の死後、桓武天皇の近親者に次々と不幸が襲います。早良親王の怨霊の祟りに違いないと恐れた桓武天皇は、京都の地に都を再度移すことになるのです。
延暦13年(794年)、平和が続くようにと名付けられ、遷都された都、それが「平安京」です。「平安京」は風水の思想に従って、土地から選び抜かれた「四神相応の都」です。
東・青龍=水(鴨川)
西・白虎=道(山陰道)
南・朱雀=湖(巨椋池)
北・玄武=山(船岡山)になります。
「平安京」を都に置く平安時代は400年に渡りました。また、後の時代では鎌倉などに幕府が開かれますが、天皇は江戸時代の終わりまで京都に朝廷を構えることになったのです。長い間、首都として機能した京都への遷都は、風水の力(四神)によって都が守られ成功だったといえそうですね。